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日本とアメリカを繋ぐ懸け橋
サクラメント
コース案内

ウェストサクラメントからのサクラメントダウンタウンのパノラマビュー
ウイキペディ「サクラメント(カリフォルニア州)より
サクラメント市はカリフォルニア州の州都である。古くから交易の場として栄えていた。現在の発展の元となったのがスイス人のジョン・サッター氏によってである。そのためサッターの名がついている道路や公園が ある。
州都となったのはゴールデンラッシュが湧いた1853年であるが、ゴールドラッシュが終焉を迎えると今度は肥沃な農作物、野菜の取引所として発展した。
サクラメント市街から一歩み出るとたちまちのうちに豊かな田んぼと畑が広がって見る目を楽しませてくれる。

カリフォルニア州議事堂
中に入れます。見学無料です。

タワーブリッジ
向こうにピラミッドのような建物が印象的です。

州議事堂内 州知事の部屋前にて
今は全滅してしまったが、カリフォルニアのシンボルといわれたグリーズという巨大な熊の銅像がありその銅像にて全員ポーズ。

サクラメント川
ゆったりと流れる川は心を和ませてくれます。サンフランシスコへ流れています。
オールドサクラメント


写真左と右上
オールドサクラメントの街並み
昔の建築様式を再現した歴史公園となっています。お店とレストランとなっていますので買い物と食事を楽しめます。それだけでなく鉄道博物館もあります。また昔の機関車に乗って短いコースを走るのでその楽しみを味わうのも良いでしょう。

オールドサクラメントにある小学校と中学校跡

小学校と中学校跡の中の教室
当時の教室がそのまま保存されている。左に立っているおじさんは案内役だが、服装も当時のを忍ばせてくれる。
サッターズフォート州立歴史公園
サクラメント市発祥の地である。またゴールデンラッシュはその場所から始まったともいわれている。サクラメント市はサクラメント川にちなんで名付けられた。
「サクラメント」の意味はカトリック教で聖なるものでイ エス・キリストの恩寵が目に見える形(これを秘蹟と呼んだ)で現れたことからくる。
伝道師もらががサクラメント川でカトリックの聖体拝領(聖体儀式 イエスの身体と血に因んでパンと赤ワインを飲む儀式)と受けた際に「もっとも聖なる秘蹟」の意で名付けられた。



オールドシュガーミル
(古い砂糖工場の意味)
現在はワイナリーとして賑わっている。いろんなワインの会社がありそれぞれの味を楽しめる。そしてワインを買うこともできる。

オールドシュガーミルの正面から見た建物。レンガ造りの建物はさすがに古い歴史を感じさせられる。その工場はサト ウキビで砂糖を作っていた。

ワイナリーでたくさんの樽が所狭しと置かれているが、雰囲気が昔の砂糖工場の感じが残っているのがこれまたいい。

バーベキューパーティ
アメリカ聾者たちを招待してバーベキューパーティの企画を予定しています。
昨年のパーティでツアー参加者たちがアメリカ聾者たちとジェスチャーを交えてのコミュニケーションにケビン手作りのバーベキューを頬ばる姿は本当に楽しそうでした。

予定ですが、下記のことも計画しています。

写真 サクラメント とサンフランシスコ郊外にあるリッチモントを結ぶ列車アムトラック。また決めていませんが、アムトラックに乗ってサンフランシスコへ行くことをツアーで予定ですが、計画しています。
その他の計画
サクラメント 滞在は一泊の予定ですが、聾者の家へホームスティすることをあくまでも予定ですが、計画しています。
サクラメント シティ大学
サクラメントシティ大学はツアー計画者の一人であるケビン・クラークが教えている大学です。その大学はアメリカ手話教室をアメリカで一番最初に創立されたことで知られています。
その他に2001年の世界多発テロ事件(9.11事件)の後に成立された愛国者法の正体が実は国民を強く監視する法律であったことが2003年にその大学で暴かれれ、それが全米に広まりそれによってブッシュ前大統領とチェイニー前副大統領への信頼が急激に落ちたことでも知られています。
そのほかにその大学前にある公園の周りはとても素敵な家が立ち並んでいます。しかしそこには悲しい日系アメリカ人への差別の歴史があったのです。
戦後強制収用所から戻ってきた日系アメリカ人に待ち受けていたのは差別でした。戦争が終わったにも関わらずにです。その素敵な家が立ち並んでいるその地域に日系アメリカ人に家を売ることを拒否したのです。そのため日系アメリカ人達はそこからちょっと離れた地域に家を買ったのです。そのためその地域にはたくさん障子のある家が目立ちます。それだけではなく日本スーパーマーケットもその地域にありました。現在はほど遠くない賑やかな場所に移りました。そして最も人気あるスーパーマーケットになっています。
1988年8月10日にレーガン大統領「1988年市民の自由法(日系アメリカ人補償法)に署名し、アメリカ政府は初めて公式に戦前戦中の排日政策は誤りであったと日系アメリカ人に謝罪したのです。その後日系アメリカ人は晴れて自分の好きな場所、土地を買うことができるようになったのです。
参照:ウエブページ「全米日系人博物館ー日系アメリカ人強制収用所の概要ー「アメリカの強制収用所ー一系アメリカ人の体験を語り継ぐ」展より」

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